リーダーシップにおいて最も本質的でありながら、多くのリーダーが壁にぶつかるテーマ――それが「視座を上げる」ということです。
日々の現場でコーチングを行っていると、部下との摩擦に悩むリーダーの声によく耳を傾けます。しかし、同時に部下側のリアルな本音を聞く機会も少なくありません。
「うちの上司は、結局自分のことしか考えていない」
「自分のボーナスや成績のために、現場に無理を強いている」
部下は、驚くほど冷静に上司の「視座」を見ています。
「対立」を生む低い視座
例えば、業務過多で疲弊したチームから「人を増やしてほしい」と要望が出たとき。
もし上司が「人を増やすと部署の利益率が下がり、自分の評価やボーナスに響く」という視座(自分の位置)でしか物事を見られていなかったらどうなるでしょうか。
「予算がないから、君たちで何とか頑張ってくれ」
そう一蹴された部下は、疲弊する以上に「バカバカしさ」を感じ、上司への尊敬を瞬時に失います。
では、部下が本当に求めている上司の姿勢とは何でしょうか?部下に「どんな上司であってほしいか」を聞くと、こんな答えが返ってきます。
- どこがボトルネックになっているかを共に探ってくれる
- 業務効率化や新しいアイデアを一緒に考えてくれる
- チームの大変さを思いやり、心身のコンディションまで気遣ってくれる
さらに視座を上げれば、「チームの生産性を高めるアイデア」にとどまらず、「会社として社員のメンタルや職場環境をどう整えるか」という、経営的・人間的な視点にまで視野が広がるはずです。
自分の位置からしか世界を見られないリーダーは、部下と「対立」します。しかし、視座を上げたリーダーは、部下と「同じ側に立つ」ことができるのです。
禅や仏教が教える「分別をなくす」という究極の視座
実は、この「視座を上げる」という経営哲学の本質は、古くからの仏教や禅の教えと深く深く繋がっています。
仏教では、視座を上げることを「分別(ふんべつ)をなくす」「無分別の境地」と表現します。
私たちが日常で使っている「分別」とは、物事を分けることです。
「あなた と 私」「損 と 得」「自分の成果 と チームの成果」。自分を中心とした低い視座にいるとき、人は世界を2つに切り分け、知らず知らずのうちに「対立」を生み出してしまいます。
しかし、禅の境地である「無分別」に達するとどうなるでしょうか。
「あなたも私も、本質的には一つ(一切皆成・万物一体)」
すべての境界線が消え、世界が一つに繋がっていると捉えられたとき、対立は存在しなくなります。部下の苦しみは「自分自身の苦しみ」となり、チームの課題は「自分自身の課題」として心から捉えられるようになるのです。
「自分だけが得をすればいい」という狭い自尊心を手放し、すべてに対して優しく、すべてにとって恩恵がある判断を下す。
「無」になり、「すべては一つ」と捉える究極の視座こそが、人を惹きつけるリーダーシップの源泉です。
視座を高め、真のリーダーへ
リーダーシップの極意は、ノウハウや管理術だけではありません。自らのエゴを手放し、どこまで高い視座からチームや世界を眺められるかという「内面の修行」でもあります。
- 「今、自分は自分の立場(利益)だけで物事を見ていないか?」
- 「『自分と部下』を分けて対立させていないか?」
日々の忙しさに追われそうになったときこそ、一呼吸置いて自分の視点(カメラの位置)をぐっと高く引き上げてみてください。
あなたが「無分別」の温かい視座に立ったとき、チームの景色はガラリと変わり、部下は心からあなたを信頼してついてくるようになります。
あなたのリーダーシップをもうワンランク上のステージへ引き上げるヒントになれば幸いです。
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